OBのインタビュー記事

2022/03/07 21:20


取材日:2020年10月

今回のOBインタビューは24期の三浦孝太氏にお話しを伺いました。三浦氏は現在、大人気スマートフォンケース「WAYLLY」を手掛けております。 

 
社会人としても大活躍をしている三浦氏は流経大柏サッカー部での3年間で何を学び、どのように現在に至り、そして未来に何を描くのか、このようなお話は、進路に悩む現役高校生にとっても、非常に参考になるのではないでしょうか。ぜひ、ご覧ください。

入学当時のチームの印象は如何でしたか?

僕達は、名雪さんの代(21期)に憧れて入学してきた学年です。高円宮杯でサンフレッチェ広島ユースに勝って、 Jクラブの下部組織を含めた中でも頂点を極めていたので、優勝して当たり前というイメージでした。清水エスパルスに入団が決まっていた大前元紀さんを擁する流経大柏が圧倒的に強いというメディアの前評判だけでなく、実際に高校サッカー選手権でも優勝したのを見て「超すごいな、どれだけ強いんだろう?」そう思っていましたね。 
 
スポーツ推薦でサッカー強豪校を選ぶ際の選択肢は沢山ありました。國學院久我山は学力も高かったので、両親からも「國學院久我山に進学したら?」と言われていましたね。 
 
平均評定がサッカー推薦の基準を超えていたので、國學院久我山に進学できることになりました。だけど、名雪さんの代の試合を見た後に流経の選択肢も出てきた。
そうなった時、高校サッカー日本一の高校に進学できるのに、そこを蹴るのは自分の中でなんか違うなって思ってしまったんですよね。もちろん当時は、サッカー選手になる事を目標にしていたので。それで親の反対を押し切り、親元を離れて寮生活をする事を選択しました。 
 
入学してみた印象は正直「なんだこの高校は?」って感じでしたね。というのも、日本一の高校だけあって、各チームの中心選手が集まっている訳です。全員がライバルなので、表面上は仲良くしていてもどこかバチバチしている。そのうちに、サッカー部同士だけではなくてラグビー部もライバル視してくる。先輩もめちゃくちゃ怖くて、正直なんなんだろう?って感じでした。最終的にはみんなめっちゃ仲良しになるんですが、、(笑) 

流経のイメージは、Jクラブの下部組織ばりの最先端のトレーニングを取り入れていて、めちゃくちゃ強いのかなって思っていたので、実際に入学してみるとかなりの気合系で真逆でしたね。かなり衝撃的でした(笑)

入学してから記憶にある、衝撃的だった出来事はありますか?

ナンバーワン宣言とか、電柱に挨拶をするとか、テーマを決めて3分間でどれだけ書くことができるか。儀式じゃないですけど、精神的なトレーニングに衝撃を受けましたね。 
 
サッカートレーニング以外の精神的なトレーニングが沢山あって「流経とはこれなんだ」っていうマインドの部分を根本から覚えさせられました。そこで流経プライドを植え付けられましたね。 

でも、そういうのも今振り返ればいいですよね?

はい。これは本当に良いと思いますね。 
 
入学して早々に「市立船橋高校には絶対に負けるな」と散々言われる。最初入学した時は、一年生同士で練習試合とかをします。その中で市立船橋高校は1番のライバル高校だという事を植え付けられます。サッカーノートにも書いてましたが、そうすることによって流経の選手だという自覚が出ましたね。「市船には絶対負けねえ」って。(笑) 
 
そういった部分でも、入学してすぐに「流経プライド」を植え付けるのが本当に上手いと思いました。 

そんな感じだったですね。

そうですね。今振り返ると、一種の洗脳(笑)。染まってましたね。でも、とても大切な事だと思います。 

改めて振り返って高校生活が、ビジネスに活きているなと思うことはありますか?

あります。数字で説得ができない新規のビジネスをお客さんに発信する際に、自分達がプライドを持ってやっているかという部分はすごく大切だなと思います。自分達のサービスや、カルチャーに対して、自分達が熱量を持って取り組む事で、相手にも伝染する。そういった際に、自分に対して根拠のない自信を持たせる、自分達を誇りに思うマインドセットはとても大切な事だと思います。それは、流経に入って身についたものだと思います。僕は今でも「流経最強っしょ!」って思っています(笑) 
 
流経で培ったマインドセット力というのは、みんな絶対に様々な場面で活きていると思いますよ。「俺らなら、いけるっしょ!」そう思って僕たちはサッカー以外の部分でも取り組んでいるからこそ、活躍できるんだと思います。

実際に今は、取締役というポジションに就いています。自分が会社のトップとして動かしている訳なので、従業員を抱えるポジションだと思いますが、高校時代はそういうポジションではなかった訳ですよね? 

そうですね。自分が高校生だった頃は、サッカーというカテゴリーの中だけでの争いでした。流経に入ってくる選手は、サッカーが好きなことは大前提ですが、それ以上に全員プロサッカー選手になりたいと思って入ってきてる。プロになれたらいいなという淡い夢ではなく、現実的に捉えることができる環境。実際に、活躍しているサッカー選手を輩出しているのを目の当たりにしている訳なので、全員が本気です。大前元紀さんが全国優勝をして、プロサッカー選手になったのを見て「流経でレギュラーになればプロになれる」って思っていました。
当時はその夢を本気で抱いていたので頑張れていましたが、プロサッカー選手になれなかったことや、思ったように試合に絡めなかった事を挫折としたくないという思いは当然のようにあります。もちろん同級生にもサッカー選手になった人がいるので、サッカー選手になれなかった事は負け組と言ってしまえば負け組です。 
 
僕は、流経大を途中で中退しているんですよね。プロサッカー選手になることは無理だなと思ってしまったので、当時はもしかしたら挫折したという気持ちが大きかったかもしれません。だけど、僕はそれを逃げたというよりは、サッカー以外の事で成功するための原動力だったと言いたいです。言いたい(笑)。同期のライバルに負けたくないという思いは、当時あったと思います。

流経大を中退し、株式会社ケースオクロックに入社するまではどのような経歴ですか?

僕は流経大柏を卒業した後に、流経大に進学しました。父親も、母親のお兄さんも、早稲田大学のア式蹴球部でだったので、僕自身も流経大柏から早稲田大学に進学したいと考えておりました。先ほども話しましたが、進学先の候補に上がっていた國學院久我山高校に進学していたら、早稲田大学に入学することは大いに可能だったと思います。ですが、僕は流経を選択しましたが、試合には思うように絡めていませんでした。Ⅰ類だったので成績も低くて、高校からの進学先が流経大しかありませんでした。流経大にはサッカーのことだけを考えて進学しましたが、サッカーでの選択肢がなくなってしまったので大学を1年くらいで辞めました。 
 
僕自身は洋服がとても好きだったので、古着屋でショップ店員をすることにしました。ですが、一年くらい働いてその古着屋が潰れてしまったんですよね……。 

次に働き始めたのがH&Mでした。古着とは真逆のファストファッションの世界に飛び込みましたね。その中で気がついたのは、ブランドを作り上げる側にならないと儲からないということでした。雇われて販売をする側で、キャリアアップを測っても面白味は感じられない。自分のブランドを立ち上げてみたいなと思いました。そこで、ウェブデザインの勉強も始めました。イラストレーター、フォトショップはもちろん、HTMLやCSSの勉強をしました。ホームページを作ることができれば、最悪自分のブランドを立ち上げることが難しくても、食べていくことはできるだろうと考えました。 
 
H&Mを辞めた後、家の解体工事をする職人を始めました。

色々なことに取り組んでますね。 

というのも、解体工事の職人は給料が良かったので、お金を貯めることができるんですよね。朝の6時に事務所に集合して、8時から現場で働く。現場が終わって家に帰ってくるのが20時くらい。その後新宿で2時間パソコンの勉強をするという生活をしていました。その生活は1年くらい続きましたね。 

サッカーは完全に辞めてしまったのですか?

フットサルも好きだったので、東京都1部リーグでプレーもしていました。社会人のリーグですが、東京都1部リーグは結構本気でやっているんですよね。だから、練習もしっかりやっていました。 
 
僕の出身地は東京都府中市なのですが、府中市はフットサルが盛んな街です。府中アスレティックFCというFリーグのチームもありますし、小学校のコーチはそこのサテライトチームで監督をやっています。周りにもフットサルのレジェンドという言われている人たちが多かったこともあって「Fリーガーを目指せるよ」と声を掛けていただいたこともありました。その言葉になびいて、関東のチームのセレクションを受けていた時期もありました。実際に府中アスレティックFCのサテライトチームからのオファーもありましたが、職業として稼ぐことはキツイと感じました。なので、選手という選択はしませんでしたね。 
 
フットサル業界の中での人脈が広がっていく中で、フットサルのブランドを経営している先輩からデザインをお願いされることが増えていきました。そのブランドのデザイナーとして働いていたこともありました。 
 
そんな中で、横浜FCに付いている「Soccer Junky」とうブランドがあるんですが、そのブランドのスマホケースがとても売れるという話を先輩から耳にしたことがありました。その方にスマートフォンケースのビジネスをやるので、一緒にやらないかと誘われました。僕はめちゃくちゃフットワークが軽いので「やりましょう!」って感じで始まったんですよね。 

どんな感じで始まったのですか?

その時は、真っ白な手帳ケースを作り、800万円くらいするインクジェットの機械を購入しました。1個からデザインできるし、注文が入ってから印刷をするので在庫を抱えるリスクもありませんでした。様々なデザイナーさん達とコラボをして、商品企画をしていました。ですが実は、その事業自体があまりスケールしませんでした。 
 
その時に、経営とかを全て管理していたのが僕自身なんですが1年間くらいやった後に「このままじゃマズい」と感じて、色々考えましたね。そもそもスマートフォンケースは種類が沢山あるので、他と差別化出来る何かを作り上げないといけないという事も分かっていました。 
 
その時は、出資してくれていた方がいたので、その会社の名義でスマートフォンケースの事業を展開していましたが、もう1度立て直そうということになりました。3名から出資を受けていたのですが、そのうちの2人にはお金を返しました。その中で残ったのが山本さんという方で、その社長さんと一緒に今の株式会社ケースオクロックという会社を3年前の2017年に立ち上げました。

なるほど。株式会社ケースオクロックではどのような事をしているのですか?

「WAYLLY」というブランドのスマートフォンケースを作っています。中国で物作りをしているので、中国に足を運んで商品開発をしていく中で、このブランドを立ち上げました。この「WAYLLY」が結構ヒットしました。事業自体もかなりスケールしましたね。 
 
今はその軸がありながら、他の商品を開発したり、「WAYLLY」を通してインフルエンサーマーケティングを行っているので、そういったインフルエンサーマーケティングや動画制作の事業も行っています。そのインフルエンサーを使った物販の横展開で、アパレル事業を始めたりしています。なので、会社としてのフェーズがすごく広がっていると思います。 

そうですね。『WAYLLY』は平らなところならどこでもくっつける事が出来るというスマートフォンケースですよね?これは、売れると思ってそういった仕様にしたのですか?

以前からスマートフォンケースを売る事業に携わっていたんですが、実はスマートフォンケースの業界は原価が物凄い安いんです。それでも上代は、3,000円くらいするので、利益率がすごく良い。なので、もっと売りたいという気持ちが根底にありました。 
 
感覚的な話になりますが「流行っているInstagramとかにピッタリだな、絶対に売れるじゃん」というのは思いましたね。それがきっかけでした。

事業がスケールしていく中で、どんどん仕事に対する考え方は変わってきていますか?

めちゃくちゃ変わってきましたね。元々は儲かるという事を重視していました。今でもお金を儲ける、売り上げを立てるという軸はもちろん必要ですが、実際に売り上げが立った中でそれを細分化してみてみると、うちの商品を買っている理由があります。スマートフォンケースの中でも「WAYLLY」を買っている理由がある。それは、機能的に便利だからなのか、誰かが使っているから自分も同じのが欲しいとか「お客さんの役に立っている、幸せにさせている」というのが根本にあるから買ってもらえている。 
 
その価値を変換して、売り上げが立っているという風に考えたら、お客さんの真理をよく観察するようになりました。そうなった時に、よりそこを意識するようになった。カスタマーファーストではないですが「お客さんがこういう風に幸せになったらいいな」という風に、どんどんお客さんに対して必要とされていることや、そうやったら幸せに出来るのか?という事を考えるようになりましたね。それが今は、仕事のモチベーションになっています。それに尽きると思います。

お客さんの反応や、反響を貰う事でやりがいを感じているという事ですよね?

そうですね。最初は本当にお金でした。もちろん、結果お金を売り上げたというのがありますが、お金を売り上げる事が目的というよりは、何かをする目的があった上でそれを買ってくれるから売り上げが上がるという考えになってきました。そうじゃないと長続きしないなというのも感じています。

今後の事をお聞きしたいのですが、自分自身や会社としてのこれからのビジョンなどはありますか?

サッカーを辞めた後、これからどうして行きたいかというのは正直曖昧でした。サッカー選手を目指していた頃は、レールがある程度決まっていたので現実的でした。そのレールから外れた時に、自分でブランドを立ち上げたら儲かりそうだなとか、物作りをしていきたいというのはありましたが、何を売るとか具体的なことは見えていなくて、すごくフワッとしたビジョンでしたね。目の前にあったものに飛びつきながらやっていく中で、自分の気持ちが変化していくという感じでした。 

 
今、自分の作ったものが売れてきている中で、僕自身『物を作る』ということは今後もやっていきたいと思っています。インターネットの世界は、サブスク型に移行したりと、どんどん物を都度都度買わない時代の流れになってきているのは感じています。10年後の事を考えた時に、正直自分自身よく分かっていませんが、時代はどんどん変化していくと思っています。その流れに沿ったビジネスをして行けたら良いなというのは思っています。 
 
「WAYLLY」に関して言えば、iPhoneケースも将来的には無くなるのではないかと思っています。iphone が折りたたみ式になればiPhoneケースも必要なくなりますよね? 
 
アパレルも最近展開したりしていますが、そういったブランドを作っていく。今の時代は多くの価値観が生まれている中で、その価値観に沿ったブランドを立ち上げ、その価値観に合った人に商品を提供していく事をやっていく事ができれば、機能性以外の価値で絶対に残っていくと思っています。そういう部分で、色んな商品を横展開しつつ「WAYLLY」も育てて行けたら良いなと思っています。また、物販以外のtoCのサービスも、別の会社を代表として立ち上げて、最近スタートさせました。このサービスはWAYLLYで携わってきたインフルエンサーや、サッカー選手にも親和性のあるサービスだと思っています。正式にリリースをだせるタイミングになったら案内しますので、これも楽しみにしていてください。

時代に合わせながら、新たなことにチャレンジしているんですよね? 

そうですね。僕自身の目標で言えば、聞こえは悪いかもしれないですけどお金を稼げる力をどんどんつけたいという思いはあります。お金を稼ぐというのは、嫌らしい話かもしれませんがサッカー選手を目指していた頃からの目標でした。その気持ちは強いんですけど、稼ぐために人を利用したりとかそういったことはしたくない。今後全く違うことに取り組んでいくかもしれないですけど、稼ぐ力を付けるという事は軸としつつ自分の信念は曲げないようにしていきたいと思っています。 

最後後輩たちへ思う事をお願いします。

僕自身流経のサッカー部としてレギュラーで試合に出るという結果を残すことは出来ませんでした。僕の代は選手権に出場していましたが、メンバーに入ることは出来なかったので。メンバーに入った選手はテレビにも出ていたし、当時はもちろんそういった嫉妬心もありましたね。 

 
流経のサッカー部として結果が残せなかった僕が後輩に伝えたいのは、サッカー選手という夢があるならそれを全力でやるべき。ただ、サッカー以外の部分でも流経で学んだことは絶対に活きる。僕は、サッカー選手にはなれませんでしたが、社会人として本気でサッカー選手目指してきて良かったなと感じています。これは、計算してこうなった訳ではないですが、色んなことに取り組んでいく中で壁にぶつかった時に、過去に頑張ってきた事が活きているなと思っています。サッカー選手を辞めた後、すぐに自分のやりたいことは見つからないと思います。サラリーマンになって会社勤めをするのか、自分で起業するのか、色んな道があると思いますが、流経で培った雑草魂や絶対負けない気持ちは全員が根本に持っているモノだと思います。その気持ちがあれば、どの世界でも絶対にやっていけると思います。冒頭でも話しましたが「自分達ならいける」っていう根拠のない自信を持ち合わせてサッカー以外で成功している人たちは、僕の同級生にも沢山います。その気持ちを忘れないで欲しいなと思います。 
 
「頭脳だけ持ち合わせて行動出来ない人間より、行動出来る人間の方が絶対強い」って思っていますね(笑)。行動できる強さが流経の強みであり、負けないところだと思っています!その気持ちがあれば絶対に大丈夫なので、その気持ちを忘れずに社会に出ても「一打一音」していけば良いと思います。 
 
WAYLLY紹介動画



 
【ライター】
五十嵐メイ
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【編集】
流経大柏サッカー部OB会